つるにちにち記録

自分の直感だけで生きていると感じること

7月はどこへ

記憶がない。

 

コロナになったのは大きいかもしれない。

10日以上家にいなければいけなかったからだ。

 

でも私は家に居たいタイプなので、

しんどくはない。

 

症状がなくなってからは

朝7時から子どもと一緒に散歩に行ったり、

おたまじゃくしを捕まえに行ったりしていた。

 

あとは、

掃除して、昼寝して、少しご飯を食べて、映画を見てという

優雅な生活だ。

 

これが私の理想の生活かもしれないと思う。

 

私は何もしたくないのだ。

 

朝早く、新鮮な空気をたくさん吸い込んで朝日を浴びれば幸せだし、

炊きたての土鍋ご飯を食べたら幸せだし、子ども達とふざけて笑い合うだけで幸せで、

でも何か「しなければ」と自分を追い立てている気がする。

 

何か成功しなければ

何か成し遂げなければ

お金を溜めなければ

きちんとした生活を送らなければ

豪華な住まいを持たなければ

 

それは子ども達にも向けて発せられる。

 

特に長男が今中三で受験生なので、

追い立てるような気持ちが出る時がある。

 

心のどこかでは

「好きにやらせておけばいい」

と思っている。

彼の人生なんだし、全てが学びで、なるようになると思っているけれど、

 

高校くらいちゃんと行ってほしい

このレベルの高校に行かなければいけない

 

と強めに思っている。。。

心配?母心?

自分でも何かわからないけど、

とにかく「高校くらいはまともに行こう」という気持ちがある。

 

なんて

 

心の奥底の本当の私はわかっている

 

何も心配ない

 

彼のことも

自分のことも

 

何も心配することはない

 

幸せな気持ちにフォーカスし続け、

毎日慎ましく、

小さな光を大切に大切に育てる。

それだけでいいとわかっている。

 

長男と農業でもやりたいな。

 

 

 

 

 

本質を意識する

ずっとずっと鬱々した気分で、

なんとなく自分で頑張って解消しようとしていたのだけれど

いよいよ溢れ出し始め、ついに心療内科へお薬でももらいに行こうかという具合になっていた。

 

呼吸も浅くなり、動悸もあり、眠れず、何も感じられなくなり、

自分が自分じゃなくなる感覚がとても怖かった。

 

それが

 

1日にして解消された。

こんな事あるのね。

 

原因は保育園の『保護者会』の問題だった。

 

 

そんな事で鬱なるん??????

 

って自分でも認められないし、信じられなかったのだけれど、

私は腹が立っていて、人に対して悪い感情を持っている自分が居る事を

自分の中で確認してみた。

 

いるね。あなた、やっぱり腹が立っていて、嫌な気持ちだね。

でも、もうこんな自分を手放したいよね。

じゃあもう手放そう!!!

 

並木良和さんがラジオで言っていた通りに、

ネガティブな感情を手放してみた。

 

本当に、喉元からコロッとヘドロを手のひらに吐き出し、

地面にぽてっと落とした。

 

なんとなく、動悸がおさまった気がして、

その数時間後に自分の中で答えが出たのだ。

 

本質と目的がずれている

 

詳細は置いておいて、

正直、保護者会のことなんか全力で考えたこともなかったし、

言われるがまま自分の仕事はやればいいという気持ちでいた。

 

すると、軸のない私は

強力な行動力と勢いのある人物に引っ張られ、

やりたくない方向に頭を使い行動していたのだ。

 

でも、いざ、自分がその事にイライラしていて、

やりたくない事なんだと気づいて、その感情を手放したら、

その「ずれ」に気がつけた。

 

すると一気に体調もよくなり、気持ちも軽くなった。

 

鬱状態であった時、

保護者会の問題とは関係のない、

自分の才能や仕事や感性や全てに

その「ネガティブ」を紐づけて、

自分を否定しまくっていた。

 

鬱は怖い。

一度落ちたら沼で

どんどん落ち続けられる。

 

今回の事は本当に勉強になった。

どんな小さな事でも自分の中でしっかり「本質」を意識して向き合わなければ、

心と体がバラバラになってしまう。

 

その後すぐアップロードされた宇宙くんこと、中村咲太さんの動画で

「本質を意識する」事が語られていた。

 

このタイミングで得たこのメッセージは絶対に間違いのない物だ。

それは、他にもよくある事で、ちょこちょこと見せてもらえる印というか、

合図みたいな物だ。

私はこれで間違っていない。

自身を持って、先に進もう。

 

ネガティブを手放した時、

心の中の私が、「愛だけで!神様の目で見て!」と自分に言っていた。

 

人はみんなそれぞれその時に学ぶべき事がある。

失敗をしながら学ぶ時もあるし、

失敗を繰り返して繰り返して、最後に大きな学びを得る人もいる。

みんなそこにいるのだ。

神の目でそれを見ると、失敗も成功も怒りも喜びも同じ学びで、

私はそれに対して自分の感情を震わせる必要がない。

 

人として、自分の人生は自分の感性で本質を意識しながら生きる。

そして学ぶ。

いつくになっても学び続ける人間は、

年を取れば取るほど豊かになるなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

うつうつとしている。

優れない日が続いている。

 

こないだの絶望感は、巾着作り(針仕事が好き)に集中しているうちに少し晴れた。

でも又、気づいたら底にいる。

 

これって普通に鬱なんちゃうやろか、と思い鬱病チェックをしてみるけれど、

常に悲しくて涙がでるわけでもないし、世界情勢に振り回されているとは思えない。

死にたいとも思わない。

っていうか、何も思わないという方が近いのかもしれない。

元々、とにかくウキウキわくわく楽しい気持ちを常にもっている人間だったのに。

何も感じないのだ。

 

更年期??はやない??

 

楽しい事が思いつかない。

趣味もたくさんあるのに、

毎日同じ時間に起きてピラティスして湯船に浸かり、おいしいご飯を食べている。

夕方には筋トレもしている。夜も子どもとお風呂に入って、10時には寝ている。

いいだろうと思う事はしているつもりだし、割と頑張り屋だ。

毎日やっている事が逆に自分へのストレスになっている??というのも考えるけれど、

やりたいと思ってやっている。心地がいいからやっている。

 

40代の何かか。

目に見えない力の何かか。

 

知らんけど!

 

自分で自分を追い込んでいる気はする。

喉元で溺れているような。

そんな気持ちなのだ。

 

自己肯定感とか、そんな感情じゃなくて、

自分が抜けていっているような。

 

とりとめのない毒を書き綴るしかない。

だって原因も解決策もないのだから。

 

薬があったら飲みたい。

 

生まれ持って、発言権がない

ネガティブな意味ではなく、

私は生まれ持って、自分の意見が周りに必要になった事がないと思う。

 

クラブ活動では中高部長をした経験もあるし、

ブレインストーミングの場でも発言をする事が苦手ではないけれど、

何かすっっごく心の奥で思いがあって、誰かに伝えようと意気込んで、

それを言えた試しがない。

言う直前で口がすぼまるというか、

ヒヨってるとかそういうのじゃなくて、

「あー、言わなくていっか」

となる。

 

根底では、基本的に「どうでもいい」精神があるのだと思う。

それでも、何かひっかかった事があると、深く思い詰めるタイプなので

一応意見はある。

 

最近、そのような事が2回あった。

 

一つは、娘の先生に対してである。

4月に5年生に進級して新任の若い先生が担任になった。

見た目はかわいらしい感じだけれど、”厳しい”と子ども達が口を揃えて言う。

 

そう言えば、5年生になってから「禁止事項」が増えていた。

「先生がダメだと言ったから」というばかりで理由はわからない。

 

「廊下で大声で話していて先生に怒られた」

と、ある日言っていて、

「10回注意されたら2度と廊下で喋ったらあかんねん」

と言う。

 

なんで??????

その、何、謎の交換条件?ダブルバインドってやつ?

ダメな子育ての例に出される、子どもを縛り付ける脅迫の言葉だ。

 

「うるさい!静かにしろ!!」

でいいのに。

ここでうるさくしたら、声も響くし、小さな声で話そうか、とか

ここじ迷惑やから、外で遊ぼうかって、子ども自身に気づかせたらいいのに。

 

数日後の授業参観の後に学級懇談会があったので、

その機会に先生に話してみる事にした。

 

当日

 

喉からちょろりと言葉が漏れていたくらい言う気マンマンだったけれど

結局言えていない。

 

クラスでオセロを手作りしていて、すごく手間なんですけどもう4セットもできてるんです。

私もボロ負けするくらい、子ども達は強いですよ。

 

最近100文字作文を書いて、みんなで読み合っているんです。

日記のような事を書いてくれていて、ゲームのことばかり書く子もいるし、「弟が大嫌いです。」って書いている子もいるし笑、最初は私宛に書いている子が多かったんですけど、みんなで回し読みする様になってから、文末に「みんなはどう思いますか?」って書く子もいて、早く作文書きたい!読みたい!って楽しんでます。

 

そんな話しを聞いていると、

先生は先生なりにたくさん子ども達の事を思って過ごしてくれていて、

私はこの人に子どもを預けているのだから、

私が口を出す事は何もないという気持ちになった。

子ども達も先生も、日々学んで生きているのだと思い、

すごく俯瞰的に人の生きる道が見えたのだ。

 

 

「私が先生に話ししてみようか?」

と、娘に言った時、

「言わんでいい!」

とすぐ拒否された。

「誰かに怒られたりしたら嫌な気持ちになるだけやから、先生が自分で気づくまで待つ。」

と言っていた。

10歳でもここまで考えられる力がある。

 

私は自分の人生で誰かに物を申したり、注意したり、助言したりした事がない。

友達同士の会話ではあるかもしれないけれど、それはその時のノリでの事で、

自分の思いや考えをぶつけるような事がない。

それをなんとなく自分のダメな所のような気持ちで捉えていたけれど、

そうではない気がしてきた。

 

本当に助けが必要になった時は助けるし、

暗くなったり苦しくなった時は誰よりもポジティブに行動できる。

 

私は、人の人生の選択や行動や感情、その時の全てをダメだと思っていない。

何かを学んだり、何か違うビジョンを得るまでのステップで、

それを私が邪魔をしたり、一石を投じるという役目を負っていないのだ。

 

いつも、直前でストップがかかる。

行動が遮断される時もあるし、

自分の気持ちで言わなかったり、行動しない時もあるし、

私のこの、なんだろう、守護霊的な立ち位置は何なのかしら。

 

誰のやねん

 

物は言わず、受け止める。

それが私

 

もう一つの出来事は又違う学びがあって、

それも今度書こう。

自分の内に深くフォーカスしたい時に聞く音楽

シークエンスはやともさんのYoutubeで

霊能者の月夜見先生が、自分についた悪い物を払う時には

宇多田ヒカルさんの歌を聞いたりすると言っていた。

ほうほうほう

彼女の歌声は美しいだけでなく、何か他にも秘密があるのかしら。

それが人々を魅了する一因なのかもしれないと思うと、不思議だ。

 

私は集中してデスクワークなどをしたい時には、

青葉市子さんの声を聞いている。

 

青葉市子さんの声を聞くと、なぜか内に深く深く向き合えるのだ。

 

youtu.be

 

この人の才能は本当にギフトだと思う。

 

こういう卓越した人を見ると、

「自分なんて」

というようなネガティブな気持ちが起こる時がある。

自分と誰かを比べたり、やる気を無くしたりする。

 

容姿や国籍なんかの根本的に変えられない物ではなく、

例えば、自分がフィギュアスケートの選手だったとして、

同じ様に練習してきた友達が羽生君だったとしたら…

 

私を含む多くの人達は「それ以外」の立場で、

その学びを体験している。

 

誰かと自分を比べるのではなく、

自分自身と向き合う事。

そして何よりも楽しむ事。

 

私たちは常に涅槃の境地に向かおうとしているのだと思う。

 

「それ以外」の私と、

選ばれし羽生君や青葉市子さんのような人達は

学びの種類は違うかもしれないけれど、結局は涅槃へ向かっていると思う。

 

涅槃とは…

煩悩の火が消え、人間が持っている本能から解放され、

心の安らぎを得た状態のことを指す。

 

 

私は数日前から絶望の真っ只中で、

(特に何事も起こってはおらず、定期的にそうなる。鬱でも躁でもない。)

曇った自分自身と必死に対話して自分を取り戻そうとしているのだけれど、

意識的に何かしても又すぐブクブクと絶望の中に潜り込んでしまう。

結局、何かしようとする、そういう外科的な事は通用しないのだと思った。

 

絶望の最中、無意識に自分自身がしようとしていたのは、

情報の排除と生活の一つ一つの動作にフォーカスする事。

 

テレビもないし、ニュースもあまり見ていない生活だったけれど、

それでもやはり今の世界の悲しい現実を知る機会はたくさんある。

その、たった十五文字の文字列でも、一枚の写真でも、

数秒見切れただけのトピックであっても、

その波動をキャッチしてしまっていたのかもしれない。

 

たぶんな!

 

とにかく、私は無意識に自分に集中しようと努力していて

それに気づいたので、今は意識的にそれをしている。

ご飯を作る時、食べる時、寝る時、他に何も考えずにその事だけに集中する。

 

何か、仕事や子どもの事などで問題があっても

「今考えてもどうにもならないし、何も変わらない。」

と、ぽかんとしている。

 

ぽかんとする自分を許して、受け入れる。