つるにちにち記録

自分の直感だけで生きていると感じること

生まれ持って、発言権がない

ネガティブな意味ではなく、

私は生まれ持って、自分の意見が周りに必要になった事がないと思う。

 

クラブ活動では中高部長をした経験もあるし、

ブレインストーミングの場でも発言をする事が苦手ではないけれど、

何かすっっごく心の奥で思いがあって、誰かに伝えようと意気込んで、

それを言えた試しがない。

言う直前で口がすぼまるというか、

ヒヨってるとかそういうのじゃなくて、

「あー、言わなくていっか」

となる。

 

根底では、基本的に「どうでもいい」精神があるのだと思う。

それでも、何かひっかかった事があると、深く思い詰めるタイプなので

一応意見はある。

 

最近、そのような事が2回あった。

 

一つは、娘の先生に対してである。

4月に5年生に進級して新任の若い先生が担任になった。

見た目はかわいらしい感じだけれど、”厳しい”と子ども達が口を揃えて言う。

 

そう言えば、5年生になってから「禁止事項」が増えていた。

「先生がダメだと言ったから」というばかりで理由はわからない。

 

「廊下で大声で話していて先生に怒られた」

と、ある日言っていて、

「10回注意されたら2度と廊下で喋ったらあかんねん」

と言う。

 

なんで??????

その、何、謎の交換条件?ダブルバインドってやつ?

ダメな子育ての例に出される、子どもを縛り付ける脅迫の言葉だ。

 

「うるさい!静かにしろ!!」

でいいのに。

ここでうるさくしたら、声も響くし、小さな声で話そうか、とか

ここじ迷惑やから、外で遊ぼうかって、子ども自身に気づかせたらいいのに。

 

数日後の授業参観の後に学級懇談会があったので、

その機会に先生に話してみる事にした。

 

当日

 

喉からちょろりと言葉が漏れていたくらい言う気マンマンだったけれど

結局言えていない。

 

クラスでオセロを手作りしていて、すごく手間なんですけどもう4セットもできてるんです。

私もボロ負けするくらい、子ども達は強いですよ。

 

最近100文字作文を書いて、みんなで読み合っているんです。

日記のような事を書いてくれていて、ゲームのことばかり書く子もいるし、「弟が大嫌いです。」って書いている子もいるし笑、最初は私宛に書いている子が多かったんですけど、みんなで回し読みする様になってから、文末に「みんなはどう思いますか?」って書く子もいて、早く作文書きたい!読みたい!って楽しんでます。

 

そんな話しを聞いていると、

先生は先生なりにたくさん子ども達の事を思って過ごしてくれていて、

私はこの人に子どもを預けているのだから、

私が口を出す事は何もないという気持ちになった。

子ども達も先生も、日々学んで生きているのだと思い、

すごく俯瞰的に人の生きる道が見えたのだ。

 

 

「私が先生に話ししてみようか?」

と、娘に言った時、

「言わんでいい!」

とすぐ拒否された。

「誰かに怒られたりしたら嫌な気持ちになるだけやから、先生が自分で気づくまで待つ。」

と言っていた。

10歳でもここまで考えられる力がある。

 

私は自分の人生で誰かに物を申したり、注意したり、助言したりした事がない。

友達同士の会話ではあるかもしれないけれど、それはその時のノリでの事で、

自分の思いや考えをぶつけるような事がない。

それをなんとなく自分のダメな所のような気持ちで捉えていたけれど、

そうではない気がしてきた。

 

本当に助けが必要になった時は助けるし、

暗くなったり苦しくなった時は誰よりもポジティブに行動できる。

 

私は、人の人生の選択や行動や感情、その時の全てをダメだと思っていない。

何かを学んだり、何か違うビジョンを得るまでのステップで、

それを私が邪魔をしたり、一石を投じるという役目を負っていないのだ。

 

いつも、直前でストップがかかる。

行動が遮断される時もあるし、

自分の気持ちで言わなかったり、行動しない時もあるし、

私のこの、なんだろう、守護霊的な立ち位置は何なのかしら。

 

誰のやねん

 

物は言わず、受け止める。

それが私

 

もう一つの出来事は又違う学びがあって、

それも今度書こう。