つるにちにち記録

自分の直感だけで生きていると感じること

絶望感

私は今精神的な改革途中だ。

これまでの人生とは180度、世界の見え方が変わってきて、

それはどんな外的変化よりも素晴らしい発見ばかりだ。

 

でも、目に見えないし、

自分の中のことで、同じような感覚の人が周りにいないから

本当に手探りの探検なのだ。

 

パンパンに膨れ上がった風船が

勢いよく中の空気を噴き出しながら

どこに着地するわけでもなく暴れている、

あの感じ、かもしれない。

 

違うか。

 

とにかく

しかし

 

定期的に、どうしようもない絶望感に駆られる。

ほんの些細な「ストレス」の様な物を感じると、

ズルズルと奥からひっぱりだされるように

ドス黒い感情が内から出てくるのだ。

 

だからって、やぶれかぶれになって暴れたり、

死んでやりたいと思うような、そんな衝動ではなくて、

心が縮こまるような感覚なのだ。

去年はずっとその感じだった。

そして、今年に入って意識が大きく動いて、今に至る。

 

それなのに、まだこれを感じるんだ。

と、少し客観的な思いもある。

 

よくある女性ホルモンの変化による何かかと思って、

カレンダーに「絶望感」の印をつけ始めた。

地獄のカレンダーだな、、、

 

多分、波があって、

なんだか心が振るわないなぁと思い、気づいた時には絶望の底。

「あ、絶望している」と、気づいたのがおとついの5月29日だった。

そして、昨日、自分の心とチャネリングしてみた。

 

やり方は自己流で、適当だ。

目をつぶって自分と話すだけ。

声にだす事もあるし、心の中だけで話す事もある。

心の中で話す時は、言葉ではなく、意識で話している。

意識なので、めちゃくちゃ早い。

1時間ぐらいかかりそうな内容を数分で処理できる。

目を瞑って、大の字で寝っ転がって、

疲れた自分に問いかけた。

意識で処理しながら、声に出して自分に言う。

「必要な物は、人生の中に全てある。」

 

私は食べたいご馳走を自分の周りにずらりと用意して、

食べていない状態と同じなのかもしれない。

 

これもいいなぁ〜

あれも食べたいけど、これ食べたら食べられへんかも…

先にこれ食べておいたほうがいいかしら…

あの人の食べてるのおいしそう!

うわ、あんなん食べてるわ。変なやつー

私のこれ、なんか美味しくなさそうに見えるなぁ…

 

いくら歳を取っても、体は衰えても、

精神の成長と改革、拡大は収まらない。

言葉ではわかっていても、心の底から感じられるか、

それは魂の成長によると思う。

 

このブログは自分の魂の成長を記録したくて書き始めた。

その割に、書いている事が抽象的すぎるのでもっとわかりやすく書こうと思う。

 

今日は絶望感について書こうと思ったけれど、、、

絶望真っ最中の時に今後書いてみようっと。

また絶望するんかいっ

 

 

どうでもいいけど、

私はなかやまきんに君が好きだ。

この動画でめちゃくちゃ笑って、絶望が吹き飛んだと言っても過言ではない。

頑張れ!きんに君!!私にPOWERをありがとう!

youtu.be

 

 

そういや、昨日、龍神の夢を見た。

霧雨が雷を伴って降り注いだかと思うと、

窓の外に砂嵐みたいな龍神が通り過ぎた。

「龍神や!」

と、窓を開けると、もう体の前の部分は砂になって舞い飛んでいて、

体の後ろの部分だけはっきりと鱗まで見えた。

初代スパイダーマンのサンドマンみたいな龍神だった。

 

今年に入って意識の改革が始まった頃、

神戸の六甲にある六甲比命大善神社(ろっこうひめいだいぜんじんじゃ)に行った。

まだ雪の残る崖を命からがらクライミングして行ったのだ。

そこでも不思議な事があったけれど、

それよりも、

崖を無事に降りて平な山道に着くと、

しゅわぁーーーっと音がするような辺り一面を包む霧雨で、

一緒に行った友達と私の髪や肌が、その水滴でキラキラと輝くのだ。

とても不思議な感覚だったけれど、

自分が浄化されているのがわかった。

今度絶望を感じた時は、その時感覚を思い出そうと思う。

柔軟なこども

今、この地球に生まれてきている子ども達は

新しい地球を望んで生まれてきているという。

2012年以降に生まれた子ども達は特にそうらしい。

知らんけど。

私たち昭和の人間とは違って統合しなくてもフィットするのかしら??

 

色々よくわかっていないけど、

私の子ども達も新しい人類なのだ。

 

私は昭和の人間だけれど、それにしては「気」が軽い方ではある。

思考も柔軟だと思う。

自分で言うと、なんか、そう思い込んでる感じが逆に柔軟さを失っているのでは?

などという謎の問いも生まれるけれど、

私の中で「絶対」だとか「100%」だという答えはない。

常に、それとは又逆の答えもあるだろうし、

それでいいと言う考えだ。

すごく非礼で恩知らずで感情のない人間だと思われる時もあるから、

昔は周りと温度を合わせながら反応していたけれど、

今は自分の心のままでいるようにしている。

 

そんなことより、

 

食糧難に備えて、最近は野草に注目をしている。

私の情報源であるYoutubeを検索すると、

思いのほか野草を食べている人がたくさんいる!

 

私も娘を連れて、散歩がてら野草を摘んでみた。

道端の野草など、犬のおしっこやら排気ガスやら虫やら

きたねーだろ!と思う人もたくさんいると思うけれど、

基本、背に腹は変えられない感覚もあるし、

取る野草は上に方に生えている新芽ばかりだし、

排気ガスは私も吸っているし、草花の浄化力の方が圧倒的に強いと思っているし、

虫はタンパク源だ。

 

サブスクで「Picture This」というアプリを使っていて、

写真を撮るだけで、それがどんな植物なのかがわかる。

野草もためしにやってみたけど、判定できた!本当にすごい。

鉄板のヨモギの新芽や、セイタカアワダチソウの新芽もとり、

アカメガシワの大きな葉に包んで持っていたら、手のひらがすっごくいい匂い!

「大ご馳走の匂いや!」

「え!ピエトロドレッシングのにおいや!」

と、二人で大興奮。

ワラジソウも摘んでワクワクで返ってきた。

 

野草と言えば、みんなすぐに「天ぷら」というけれど、

天ぷらって、ご馳走だし、私は食糧難に備えて野草を食べようとしているのに

そんなに油を使うような料理はちょっと…と思い、

綺麗に洗って、軽く茹で、ミキサーにオリーブオイルと塩とニンニクと共に

野草をぶちこんで「野草のジェノベソース」を作ってみた。

ちょうど生ハムとモッツァレラがあったので、

お気持ち程度に野草ソースをかけて息子に出した。

気づいてはいないけれど、あまり箸がすすんでいない笑

私はというと、しっかり雑草だと知っているので、箸がすすまない笑!!

 

娘はというと、最初から

「私はいらない」の一点張り。

「あんたそんな事いって、食べ物がなくなったらどうすんの」

と言うと、

「食べ物がなくなったら食べるけど、今はおいしい物が他にあるから雑草は食べない」

という。

これぞ軽やか!

「食糧難に備えて野草を食べる柔軟な私」に酔っていた自分が恥ずかしい。

そんな気はなかったけど、結果そういう事だと思った。

 

すこし戻って、電柱の根元から力強く芽を伸ばして雑草があり調べてみると

それが「アカメガシワ」だった。

アカメガシワ

 

アカメガシワの葉は古来から神聖な葉として

神仏へのお供物を乗せたり包んだりしている物らしい。

伊勢神宮の神事のお供物はアカメガシワの葉に盛られて献上される。

もちろん、効能もある。要検索。

他の野草もだけれど、効能が多岐で、覚えられない。

体調に合わせて食べたらいいと思う。

とにかく、アカメガシワは神聖でいい香りのする野草だ。

出会えてよかった。

 

 

全く別の日のこと。

まだ日の明るい内に見えた月は、手のひらに乗っているようだった。

月

 

 

なぜアセンションすべきなのか

まず、私はスピリチュアルの知識がない。

 

っていうか、スピリチュアルってなんだろ。

根拠のない感覚のことかな?

個人的なスピリチュアルはそれ。

 

とにかく、

ここ数ヶ月間の自分の中の意識改革があって、

それがどうも「アセンション」という物に繋がっているようだという所まで辿り着いた。

 

自分の中で疑問があったり、道しるべを求めると

必ず何かしらの啓示がある。

たまにしか見ないインスタでおもしろい投稿を見つけたり、

久しぶりに会った友達から本をもらったり、

Youtubeで知識を与えてくれるチャンネルをおすすめされたり。

 

「この言葉聞いた事がある」

「私もそう思っていた」

 

知らない知識や情報は一度見たり聞いたりしただけでは、

何ていうか、

ただの文字列。

体に染みない。

 

心にひっかかっている言葉がいくつかあって、

その言葉が自分の中の何かとリンクした時に

何とも説明のし難い感覚になる。

 

知恵の輪が外れた様な感じ…

外れちゃいけないのかしら。

パズルのピースがはまった感じ??

 

「アセンション」「統合」「次元上昇」

など、聞きなれない事を聞き続けていたけれど、

自分の中に染みない感覚をずっと持っていた。

ただ、

昔から心の奥で思い、感じていた物ととても似ていたので、

その答えを求めるように少しづつ情報を集めるようになった。

 

ずっと疑問だったのは、

なぜアセンションが必要なのかという事。

 

地球が生まれ変わるとか、ネガティブな体験を終えるとか、

色々言われても

「はぁ」

「へー」

という感じで、

ゲートが閉じるだの、二極化だの、

「ほーー」

「へーーー」

「はーーーい」

と、とりあえずオッケー的な

いつもの軽いノリでいたけれど、

心のモヤは残ったまま。

 

愛と調和の世界で

私たちは五次元の地球を体験する

 

今日その意味が自分の中の何かとリンクし始めた。

でも、三次元の世界で受け取るには少し、重い。

 

 

私たちは、アセンションをしないと生きていけないのではないだろうか。

 

地球はまだまだ揺れる。

もちろん天災もあるだろうし、戦争、コロナ、

そして間近に迫りつつある食糧危機。

 

常に平常心を保ち、自分の内側にフォーカスし続け

欲を捨て、分かち合う心を持つ。

死は魂の終わりではなく、旅立ちである。

 

夢物語や聖人の話しではなく、

これからの地球ではそういう人間じゃないと

恐怖で気が狂って生きていけないのだ。

 

地球に選ばれた者ではなく、

自らが選んで五次元の世界へと移行するのだろう。

 

私たちは地球の一つの細胞だから、

地球に選ばれたという言い方でもいいのかな…

 

私は、揺れない。

でも揺れている人を見ると

その波動が居心地がわるくて、

すごく嫌になる。

 

関係なさそうである話し…

 

こないだ免許更新の講習で

「講習も運転と同じ。居眠りやスマホの脇見は禁物ですよ!」

と最初に言われた。

 

当たり前だろ!

大人だぞ!

 

と思っていたけど、

すぐに隣の小綺麗なオバ様が

長い爪でカチカチカチカチと高速LINE。

美容液をプッシュプッシュでコンパクトを開いて塗り塗り塗り…

 

小心者の私はいつか教官が激怒して、オバ様も逆ギレして…みたいな

修羅場になるんじゃないかと思い集中できない。

事故で子どもを亡くしたお母さんの話しになるとオバ様号泣。

私もしっかり涙。

 

なんかよくわかんないけど、

周りの影響を受けて揺れるのやめたい。

 

 

今日のひっかかりワード

ー 野草

 

野草を食べて、食糧危機を乗り切ろう

セイタカアワダチソウも食べられるなんて…

うちの近所天国だわ。

 

youtu.be

 

歯ブラシと地球

数日ほど前から竹製の歯ブラシを使っている。

 

それが原因なのかどうか不明であったが

口角が切れ始めた。

しかも両サイド。

 

食べすぎでだとか、ストレスだとか、

ヘルペスカンジダ?ビタミン不足?

調べると原因は色々出てくるのだけれど

どれもしっくりこない。

 

今までの人生でどれだけ暴飲暴食をしても、

体調不良であっても口角が切れた事が一度もないのだ。

 

どうしても心に引っかかるのは竹歯ブラシ。

竹アレルギーなのか??

 

とりあえず、

もう一度使ってみて傷が悪化したら

使うのをやめようと心を決め、

歯ブラシを口に入れたその瞬間にすぐ気づいた。

 

これや!!!

 

口角の傷は、よく見ると口の端より少し下唇寄りで、

しっかりと竹歯ブラシの支点になっていた。

 

私は竹の棒で自分の唇をギコギコ削り取っていたのだ。

 

竹も、綺麗にヤスリ処理されて滑らかに見えても、

プラスチックの様にはいかない。

 

そういえば、

一緒に竹歯ブラシを使いはじめた娘が

『口の中があちこち傷だらけなんだよね〜』

と話していた笑

 

へー

で終わらせてごめん。

母も唇削れたよ。

 

そこで感じたのは、

やっぱり自然を自分たちの思うままにする事なんてできないという事だ。

 

こんな小さな竹であっても、

人間はあちらに沿って生きなければいけない。

 

プラスチックは人間が人間の為に作ったものだから

いくらでも有益に加工できるけれど、

自然は違う。

 

『使う』のではなく、

『使わせて頂く』

その気持ちが大事で、

人間の思うままに利用する事はできないのだ。

 

そして私はプラスチックの素晴らしさを又実感した。

 

一時期、

サステナブルがかっこいい気分の時があって、

プラスチックフリー生活を目指していた。

 

そんなの、、、

ジャングルの山奥で獣の様に生きないと無理!!

納豆一つ買えない。

探せばあるかもだけど。

藁に巻かれた納豆も、そのまわりはプラ。

 

早々にプラスチックフリーを諦め、

自宅のゴミは丁寧にリユースリサイクルする方向にチェンジした。

するとより、プラスチックって優秀だなぁ〜と

感じる様になった。

 

袋にもコップにも家具にも服にも、

どんな形にも変化する。

軽さと薄さ、そして強さも併せ持つ。

水も空気も通さない。

伸びたり縮んだり、空気も密閉できる。

容易に洗って乾かして、汚れも取れやすい。

 

プラスチックフリー生活を通して私が学んだ事は、

プラスチックは最も役に立つ大発明だと言う事。

 

プラスチックは何も悪くない。

悪いのはプラスチックを害にする人間だ。

 

そして、自然を守るだとか、地球の為になんて言う戯言。

そもそも、私達は地球に住ませて頂いている

居候の身で、

守るとか大事にするとか共存するとか、

そんな身の上ではないのだ。

 

地球は私たちに心配される様な次元ではない。

人間は人間の為にもっと丁寧に生きれば良いと思う。

 

私は片手で頬をひっぱりあげながら、

唇に触れない様に丁寧に歯を磨く事にした。

使い終わったらタオルで拭き上げて水分を取って元に戻す。

 

もしかしたら次はプラスチックの歯ブラシを買うかもしれないし、

使い心地はとてもいいので(口は切れるけど)

又竹歯ブラシを使うかもしれない。

 

どちらにしろ、適当にはしない。

歯ブラシさえも、自分のために丁寧にする。

HSPな私

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン/Highly Sensitive Person)とは、視覚や聴覚などの感覚が敏感で、刺激を受けやすいという特性を生まれつき持っている人のこと。

自分がここに分類するという事を、去年知ったばかりだった。

でもだから、なんなんという感じで、

私はそんな自分と付き合いながら、

鎧をかぶって戦っていた時もあるし、

全て放り出して逃げ出した事もある。

40年生きていると、色々経験する。

 

年を取るにつれ、

いつの間にか私は自分が心地のいい環境を作るようになっていた。

そしたら、いつの間にか孤独になった。

(大切な家族はいる!!)

 

不要な人間関係がなくなったと言えば、聞こえがいい。

友達と呼べる人も一人二人…で、

子どもが三人もいるのにママ友もいないし、

その時々にランチ行こ〜〜とかそういうノリは得意だけど、

ずっと人と付き合う事がなくなった。

仕事も一人でするばかり。

 

わりと適当なノリで人と付き合うのは得意なはずだけど…

自分のペースで生きられるように、意識せずとも自分で環境を作っていたのだ。

 

HSPかどうかは関係あるのかわからないけれど、

私は信じられないほど周りの意識に同調する。

 

全く悲しくなくても、隣で涙を流す人が居たら涙がでるし、

「涙を流した人がいたんだよ」と聞いただけで泣いた事もある。

10年以上家にテレビがないのも、悲惨なニュースや、

怒りが満ちている場面を目にすると同じだけの気持ちになるからだ。

かわいそうな子ども達を助けられない、助けられなかったと思うと夜も眠れない。

それが世界の端で起こった事であっても、

意識はここにあるから。

 

私は内なる改革をし、

私なりに今私たちが生きているこの世界を理解した。

 

すると、そのどうしようもない感情や意識を持ったとしても、

すぐに手放す事ができるようになった。

 

誰にどうこう言われようと、自分で「気づく」事が大切なんだと思う。